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恥ずかしい話だが、
僕は自分で自分のことを面白いと
思っていた時期がある。
それもつい数年前までそう思っていた。
なぜ自分は別に面白くないか
気が付いたかというと
とある企業の社長さんと
その社員さんが会話していたのを見て
気づいたのだ。
・・・
それはこんな状況だった。
その社長はジョークを言っている。
別に面白くない。
→
社員は
「社長が言ったことだから」
と、愛想笑いをする。
→
周りから見たらお寒いのだが
社長はウケたと勘違いする。
自分はユーモアがあると思いこむ。
・・・何ともバッドな話だが
こんな光景を見てしまった。
しかしながら自分も実は
似たようなな感じじゃないか?
とふと我に返ってしまったのだ。
周りの友達や家族は
優しいから笑ってくれていただけで
たぶん自分の話は別に面白くない。
お笑い的な「瞬発力」もなければ
作家のような知的な「ユーモア」もない。
冷静に考えたら当たり前だが
この事実につい最近まで気がつかなかったのだ。
自分で自分を面白いと思っているのは
客観性がない状態であり幼児と同じだ。
これはなかなか痛々しい話である。
もう少し深く考えてみよう。
面白い人すなわちお笑いのプロ、
芸人さんを例に考えてみる。
当たり前だが彼らは本当にすごい。
テレビで面白くない扱いされている
滑り系芸人の人だって
実際に会ったらめっちゃクチャ面白い。
ライブを見れば
間の取り方やたたずまいとかだけで
もう本当にスゴイ。
売れている人になるとさらにそこで
気配りとかもできたりする。
そういうすごい人と自分を比べた時
自分は面白いのか?
・・・明らかに面白くない。
結局はどの世界でも
本気でやっている人はすごいし
その中でもトップになる人や
名前が出る人と言うのはすごいのだ。
そんな中で
「自分は面白い」
なんて勘違いしちゃうのは
少し辛いものがある。痛々しい。
・・・ただ、一点注意したいのは
面白くなかろうが、
知的でなかろうがなんだろうが、
痛々しかろうが、
『面白くない人は
自分の表現や思ったことを
言ってはいけないか?』
というとそれはまた別問題だ。
委縮してしまい
自分の意見を言えなくなってしまう、
表現をできなくなってしまう、
のはまた違う。
「べつに面白くない人間だ」、
と自覚しながらも
しっかり胸は張って生きていたい。
書きたければ文章を書けばいいし
描きたければ絵をかけばいいし
曲を作ったっていい。
自分がしたければやればいい。
極論を言ってしまえば
芸人さんではないし
人を面白がらせるのが目的ではない。
自分が楽しみながら幸せになることが
人生の目的だからだ。