あなたに相応しくない人はあなたの元から去っていく。これは悪い意味でも良い意味でもあるかもしれない。そしてそれは自然の摂理のようなものかもしれない。だからそんなに気にすることはない。そのことについてちょっと考えてみたい。

 

(1)悪い意味

あなたが実力不足の場合。例えばあなたは起業を目指しているとする。でもまだ何も行動できていない。起業家のコミュニティ・勉強会に行ったとする。その時周りはすでに行動して結果を出している人ばかり。あなたはそれらの人に相手にされないだろうし話も合わないだろう。だから、あなたはそのコミュニティから去ろうと思うかもしれない。もしかしたらあなたがまだ若ければかわいがってもらえるかもしれない。ただそれはあなたがすごく一生懸命な場合だけだろう。

(2)良い意味

あなたがもっと上を目指している場合。例えばあなたは起業家だとする。すでに色々行動し自分の中で課題も沢山出てきている状態だ。そこで起業家のコミュニティ・勉強会に行ったとする。その時周りは全然行動しない人ばかり話題も愚痴やできない言い訳ばかり。あなたはそれらの人と話もしたくないだろうしそもそも話も合わないだろう。だから、あなたはそのコミュニティから去ろうと思うかもしれない。

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こういった感じで自分にふさわしくない人というのはいつの間にか去っていくのでいつの間にか似たような人が集まり集団を作るといわれている。自分自身の努力が足りていないなら頑張ればよいしこの人たちとは話が合わないと思ったら黙ってその場から去ればよいだけだ。本当にそれだけだし誰も悪くない。何も否定することはない。相手の価値観を変えようとしてもそれは意味がないし不可能だろう。

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ちょっと自分の仕事の話をしよう。僕は鍼灸院をやっている。鍼灸の仕事はとても面白い。鍼灸施術は健康を維持したり身体の調子を整えたり元気にしたりする力がある。もちろん鍼の効果には即効性もあってその場で痛みを取る、その場で楽にする、といった効果もあるが僕の鍼灸院ではあまり即効性を打ち出していない。

理由はいろいろあるのだが健康とは結局、日々の生活の積み重ねである。だから

その場で楽になりました、

おしまい!

また同じ生活に戻る。ではあまりにも虚しいしそういう仕事はやりたくないと思っている。

鍼灸はあくまで体をよくするきっかけで自分の生活習慣や体調を見直す視点を持ってほしいと思って仕事している。

だからクライアントさんには生活指導や通院指導を伝えることもある。それをきいて

・ めんどくさい

・ そこまでしたくない

という人は去っていく。

 

「生活指導?は?なにそれ?今楽になればそれで良いじゃん」という考え方の人も僕の元から去っていく。以前はそれが残念で仕方ないと思っていたが今はそれでよいと思っている。相手にすり寄り優しくするのも違う。だから去る人は追いかけない。人の価値観を変えるのは不可能に近い。むしろ合わない人は最初から僕と出会わない方が良いと思っている。

もしも価値観が違う人と出会ってしまったとしたらそれは何かの間違いだから早目に去ったほうが良いとも思っている。それがお互いのためであるからだ。

価値観が違うことがわかった時点で「うちのサービス合わないと思います。」となるべくはっきり伝えるようにしている。恨みつらみもない。お互いのために去る。それだけだ。技術や知識の研磨は常にしっかりと行う。それはもちろん大前提だ。

出会いは偶然。別れは必然なのかもしれない。

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